「観察する」を大事に。
元特別支援学校教員、スタッフのはなです。
朝からこれだけの真っ直ぐな目を向けられるのはすごい。
セミの声もだいぶ小さくなり始めて、どこか静かな朝の絵本タイム。
と、思ったら
今度は泣き声祭り。
ママやパパと離れた後は、気を張っているのだろう。
ふとした瞬間に思い出したり、もらい泣きしたり。
そんな大合唱メンバーに、
Sくんは「どうして泣いているの?」と優しく問う。
「どうして」と問うのは、
仲間のことが気になるから。
優しさを感じる。
みんながザックを背負って準備する中、ザックを背負えないRちゃんがいた。
いや、背負おうとしないと言った方が正しいのか。ほんの少し手伝って貰えば、Rちゃんは自分でできる。でも、一度泣いてしまうと、自分でもなかなか戻ってこられない。
どうしたいのか
誰かに手伝ってもらおうか
私たちはRちゃんに尋ねるけれど、なかなかその足は動かない。
少し離れて様子を見ることにした。
すると、CちゃんがまずRちゃんのザックを近くに寄せた。
それだけでグッとくる。
でもそれだけではない。
Cちゃんは、Rちゃんを励ますように大きな葉っぱを一枚そっと渡した。
でも、受け取ってもらえない。
その葉を地面に置くと、またもう一枚、また別の一枚と、違う葉を探すCちゃん。
それを繰り返すうちに、ついにRちゃんはその葉を受け取った。しっかりと握りしめていた。
受け取ってもらえると、CちゃんはRちゃんのザックにしまってあげる。
自分のザックの物の出し入れでも、うまくできなくて泣いてしまうことのあるCちゃんとは思えぬ、キリッとした表情で向き合っている。
「この葉っぱを持っていれば、大丈夫だよ」そんなCちゃんの想いが詰まっているような気がした。
Rちゃんの涙もいつの間には消え、Cちゃんのすることををずっと見ていた。
ざっと書いたが、Cちゃんは20分近くもRちゃんに向き合い続けたのだった。
私もずんずんも、息を凝らしてこのドラマを見守った。涙が出そうだった。
この間、他の子たちはどうしていたのかというと
みんな待っていた。
だから私たちはこのドラマを一緒に見守ることができたのだ。
かなり長い時間。
遊び始めてもおかしくはないだろうに、「待ってる」と言ったAちゃんを筆頭にみんなで座っていたのだ。
みんなが揃わないと、どこかスッキリ遊べないのだろう。
全員がRちゃんたちを待っていたんだ。
私はこんなにも長い間、向き合えるだろうか。
どんな気持ちがあれば向き合えるのだろうか。
後で、ずんずんがCちゃんに「どうしてRちゃんを助けてくれたのか」と聞くと、
するとCちゃんは「だって好きだから。」と答えたのだそうだ。
なんという愛。
お昼ご飯の時、RちゃんはCちゃんの隣を選んだ。
そして、「Cちゃん」と呼んで、朝もらった葉を返したのだった。
「もう大丈夫だよ」と言うように。
Rちゃんが揃った後のみんなの遊びのパワーはすごかった。
全員がやりたいことに夢中になっていた。
移動は常に走るくらいに、
やりたいことに溢れていて、ものすごい集中力。
Cちゃんの「好きだから」という発言のように、
自分や他人を動かす原動力って、意外とシンプルなのかもしれない。
「好き」は、ものすごいエネルギーになる♡
「好き」「嫌い」とか「やりたい」「やりたくない」みたいに
無駄なこと考えずシンプルに、思うがままに行動してみることって
できているかなあ。
また一つ子どもたちが教えてくれた。
今日も素敵な時間をありがとう。
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