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​代表 ・ 平野 純子(ずんずん)

はじめまして!

 沼津市の森のようちえん「里山保育こまめ」代表の「ずんずん」です。

  わたしは、小さい頃から下駄をはいて野山をかけまわる、元気いっぱいの「田舎っぺ」でした。母が自転車で転び、かごに乗っていたわたしはそのまま田んぼに飛ばされ墜落。夏は父と海水浴。銛と共に海へ潜った父が、何分も上がってこないどきどき。

興味津々だった、祖父母の田畑の仕事や屋根裏の味噌樽、薪で炊くお風呂。大学生になってからは養豚農家での3年間のアルバイト。わたしの周りから、自然が途絶えたことはありませんでした。

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その後、「北の国から」で見たような、自然に囲まれた環境の中で、のびのびと子どもたちと過ごしたい、分校で働きたいという思いをもって、小学校の教員になりました。

でも実際は、自分が思い描いていた姿とは、少し違っていました。

 それは、子どもたちの姿です。中でも、子どもたちの

「声を出すこと(自分の意見を言うこと)」

「自分から積極的に行動すること」

「運動能力」

「友達とのかかわり」

についてでした。子どもたちには「元気がない。」ように見えました。また、わたしが何かを話すたびに「俺それ知ってる。」「そんなん誰だってできる。」という子どもたちがたくさんいました。でも、実際は知らなかったり。できなかったりする、頭でっかちな子どもが増えているようにも感じていました。

 

 わたしは徐々に

このままじゃ、まずい・・・。」と危惧するようになっていました。

でも、子どもたちの顔が、​明らかに違う時がありました。

 

 発言をするときに、お腹から大きな声が出せる子どもたち、顔いっぱいに口を開けて大笑いする子どもたちの姿です。それは決まって、自然遊びの後でした。さっきまでカチコチだった子どもたちが、もうどこにもいないのです。

 

 そういえばわたしは、毎年どの学年を担任しても、必ず外遊びをしていました。子どもたちを緑あふれる中庭に連れ出したり、畑でいっしょにどろんこになったり、学校の周りに植えてあるたくさんの木々の間で遊んだり・・・。

 そこで、ようやくわかりました。 

 

人間に必要なパワーが、自然の中にあるということを。

自然遊びを通して、子どもたちは自分で考え、自分の意見を言い自分解決しようとしています。そこに「受け身」はありません。ここで得られた、「自然の力が子どもたちの自立心を育てること」を広く発信し、その環境作りをしていかなければならない、という強い気持ちが、わたしを突き動かしました。

 その気持ちに押され、わたしは、小学校の教員を辞めました。

 

  子どもたちの底に眠っている本来の姿を導いていくには、どうしたらいいのだろうと

考えていた時に、「森のようちえん」の活動を知りました。

 「森のようちえん」とは、デンマークで1人のお母さんがはじめた活動です。

「わが子を、自然の中でのびのびと遊ばせたい。」と考えるこの活動は、世界中に広まっていきました。

 自然を通して過ごす日常には、たくさんの冒険や楽しさがあると同時に様々な困難もあります。その力を効果的に育むことができるのが、とくに幼児期であり、そこで太い根っこを張っていくのです。

「森のようちえん」の考えに深く共感したわたしは、平成28年4月に「里山保育こまめ」を立ち上げ、活動開始に至りました。

意気込んで活動を始めたものの、「森のようちえん」の認知度の低さから、なかなか参加者が集まりませんでした。参加者0人の日も数多くありました。

フィールドのゴミ拾いだけをして帰ってくる日々が何日も続きました。また、参加していただいたものの、この活動の趣旨をうまく伝えることができず、次につなぐことができないという、ぶつ切れの状態でした。

でも、徐々にこの活動に賛同してくださる方が増え、地元のイベントに招待してもらったり、いろいろな分野の方たちを紹介してもらったりするようになりました。そのうちに、「森のようちえん」の必要性を感じていただける機会が増えてきました。

 子どもたちの「自分でできた!」 に気づく・認める

 ことで、将来の子どもの姿につながるでしょう。子どもが、自分を信じて本気で何かを成し遂げた先には、大きな自信がつきます。心から「認めて」もらえたことには、人に対する安心と信頼が生まれます。仲間と協力し、助け合ったことには、人を理解し、思いやる心が育ちます。

 

  わたしは、これからの子どもたちの姿を胸に描き、本気で子どもたちやその保護者を

サポートします。そしてわたし自身も、子どもと共に向上していくのが楽しみでたまりません。

 

 

  自分の考えをもち、誰とでもうまくコミュニケーションがとれる子どもたちが増え、よりよい社会につなげていくことが、わたしの未来予想図です。

認める・・・確かにそうだとして受け入れる。(三省堂 スーパー大辞林3.0)

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